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死もまたよし? ~仏教の教え

ご無沙汰しました。
10日近く、更新しないうちに、大統領選ではオバマが大躍進だし、ブログにはエロ系のコメントがつき放題だし、ときどき昔のように時間が流れる場所へ行くと、普段生きてる世界の時間の流れの早さにはっとします。

カリフォルニアを旅している最中、私のヒーローだったおじいさんが亡くなったという報をうけて、旅を切り上げて日本に帰っていました。
34年生きて、身内のお葬式は初めての経験(ということは、今までよっぽど恵まれてきた、ということです)である。
自分は、今まで「悲しい」っていう言葉の意味、知らなかったな、と思った。
少なくとも、「悲しい」だと思っていた感情はちょっと違ったみたいだ。

そしてもうひとつの発見は、いや~、やっぱり自分は仏教徒なのよね、ということである。
ちょっと前に出会った某有名詩人が、
you can be free
you can be sufficient
it is OK to die
と、自分が言っていることを集約してくれたことがあった。
深いでしょ。
そして、こういう考えを学んだのも、仏教からなんだよ、と教えてくれたのだった。

身内の死に直面して、はじめて、子供のころから読まされてきたお経の意味を考えてみた。
it is OK to die
は、どういうふうに訳せばいいのだろう。
死ぬ、ということも受け入れよう、ということだと思うけれど、しっくりくる訳が思いつかない。

訳はさておき、死もまたよし、と思えるほどの境地に達するには、まだまだ修行が足りないけれども、私がこんなことを考えているのを知ったら、おじいさんも喜んでくれるのではないかと思う。
12年もキリスト教の学校にいってしまったので、宗教的には相当「迷える子羊」度高く(でも、シスターたちにひどい扱いを受けたので、キリスト教にはあまり感化されなかった)、これまでたずねられると「atheistです」と答えてきた。
しかし、やっぱり私は仏教徒だったようである。
あらためてお経の本などを読んでみると、納得することが多くてびっくりした。
なにげに刷り込みがあったのだと思う。

そういえば、お葬式にきた子供たちが、遺体をまったく怖がらずにいたのにびっくりしたけれども、子供に死をどう教えるか、という話を2度ほど記事にしたことがある。1度目は、確か「デス・エデュケーション」と呼ばれるアメリカのカリキュラムについて。そして、2度目は、セサミ・ストリートの「さようなら、フーバーさん」について。
「さようなら、フーパーさん」は、フーパーさんが死んじゃって、当惑するビッグ・バードの話。
セサミのクリエーターにインタビューしたときに、このエピソードを作るため、児童心理の専門家たちに相談して、すごく慎重に作ったのだ、という話をしてくれたのです。
しかし、今回、死にふれる子供たちを見たら、子供って、オトナが考えているよりもずっと成長しているのではないかと思ってみた。

今またひとつ大物インタビューがあって、カリフォルニアに戻ってきたけれど、NYに戻ったら、も一度「さようなら、フーパーさん」を読んでみよっと、と思っています。ネットで探したけれど、やっぱり著作権がうるさいらしく、見つからないもの。もしかして、フーパーさんと仏教の教えには共通するものがあったりして。



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