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リトルピープルの逆襲

昨日、家族に電話をしたら、父親に「ブログも更新しなさいよ、みんながツイッター見てるわけじゃないんだから」と言われた。
やっぱりパパさまには、ツイッターはちょっと遠い存在のようです。

ツイッターを始めたことで、すっかりブログの更新の頻度が滞っているのはもちろん偶然ではなく、ツイッターというマスターベーションですっかり自己表現欲が満足させられてしまっているからかと思われます。
そして、ツイッターを始めたことで(というか、TweetDeckというソフトを導入したことで)私の情報の収集方法も劇的に変わったのでありました。

知らない人のために解説すると、TweetDeckというソフトは、ツイッターの情報をモニターに流してくれるアプリケーション。
私がフォローしている人のツイートが流れるたびに電子音がするのだけれど、それがロイター時代に机の上にあった端末の音によく似ている。
そして、ロイターが世界中に抱える記者たちが発信する記事が流れていたのと同じくらいの頻度でその音がするのです。違うのは、情報の発信者がものすごく多様だということ。
要は、TweetDeckのおかげで、わざわざブラウザをひらかなくても、ファイナンシャル・タイムズの見出しも、CNNの速報も、オバマ大統領のメッセージも、ほりえもんのつぶやきも、知り合いの編集者の愚痴も、Snoop Doggy Dogの日常の一コマも、同じ画面にじゃんじゃか流れてくるということです。
ファッションの話題も、金融のニュースも、セレブのスキャンダルも、同じテンションで流れてくる。
ものすごく多様だし、民主的な感じがする。

情報の送り手としては、書きたいことを140字におさめるというチャレンジがあって、これもなかなかにおもしろい。
プロだろうと、プロでなかろうと、ほぼ同じ場所で発言できる、というのも新鮮。
夢中になるポイント、満載な感じである。

が、もちろん危険もあって、やっているうちに、自分の頭のなかの動きが断片的になってしまう。
何かをきちんと推敲する前に発信してしまうこともあって、それはそれで「つぶやき」の醍醐味なんだろうけれど、それは怖いことでもあったりするのです。
先日、クオンタムリープの出井伸之氏とお会いするチャンスがあったときに、ツイッターに夢中です、と言ったら、
「微視(ミクロ)もいいけど巨視(マクロ)を忘れちゃだめだよ」
と言われた。
マクロを忘れかけていたので、ぎくっとなった。

と、余談が長くなったけれど、ここからが本題。
最近、この大きな世界のなかで、インディな方法で何かをやろうとしている仲間たち(リトル・ピープルと呼んでいるのだが)のことをよく考えています。
きっかけは、友人まぎこが作って、私もちょっぴり協力したビデオの手法が、ペプシのCMにぱくられたことである(詳しくはこちら)。
SourというバンドのPVとして作られたこのビデオは、日本でもなかなか好評で賞までとったらしいのだが、間接的に聞いたところによると、それ以来、さんざんいろんなところでぱくられているのだとか。
まあぱくられるということは、それはそれで名誉なことかもしれないが、ペプシのCMを作ったTBWAのように、リソースもお金もたくさんあるようなところが、何もインディからぱくらなくてもいいではないかと思う。

そんなタイミングで、元祖草の根運動家系ビデオ・ジャーナリストであるジョン・アルパートさんに、6年ぶりくらいに取材に行った。
ずいぶんお年ではあるが、今も同じ情熱で戦いを続けているアルパートさんと、テクノロジーの進歩の話になった。
アルパートさんは、テクノロジーが進化して、機材も安くなって、発信する場所も増えたけれど、情報の発信者が多様化されたことで、その分リソースも分散されてしまい、自分のような人間が創作活動を続けるための資金繰りが難しくなってきた、という話をしてくれた。
年もとったし、誰よりも早く現場に駆けつけることも難しくなった、テクノロジーの進歩でできることは増えたけど、昔よりイージーになったとはいえないね、って。
時代が変わったことで、大手テレビ局に買ってもらわなくても作品を発表できるようになったけれど、かといって金銭的な課題は厳然と存在する、ということである。

この問題は、私にとっても死活問題である。
紙の媒体がどんどん売れなくなると同時に、無料で手に入れることができる情報がこれだけ増えた今となっては、自分が「書く」という作業でご飯を食べられていること自体が奇跡的な感じがする。
インターネットの発展とともに、無料で得られる情報の量はどんどん増えた。
しかし既存のメディアやインターネットが登場する前から情報で食べてきた人間からすると、これからどうやってお金を稼いでいけばいいのだろうという課題だけが残ったわけです。

そんなことを悶々と考えているタイミングで、出井氏にお会いした。
そしてここぞとばかりに、そろそろバイトとか考えたほうがいいですかね?と質問をぶつけてみた。
出井さんは、「黙っていても、ネットでの表現行為に値段がつく時代がやってくるから大丈夫だよ」と言ってくれた。
そのときは、かなり懐疑的だった私。
しかし、何日か経ってから、もしかするとiPadがリトルピープルの未来なのではないかという気がしてきた。
インディのミュージシャンたちがアマゾンやiTunesでレーベルを通さずにMP3を売れるようになったのと同じように。
って、これ、私が気がついたのが遅いのかな?
もしかして、みんな気がついてた?
というわけで、久しぶりに、メディアの未来にちょっとだけ光が見えたような気がするのでした。








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グラミー賞、Avatar、そしてHurt Locker

長い間、ご無沙汰してしまいました。
新年はやる気あったのにな、どうしたんだろう。
Twitterのせいかな。
全く更新していないのに、みにきてくださるみなさん、ありがとう。
これからはもうちょっとがんばります。

週末、グラミー賞を見た。
この手の賞番組(グラミー、オスカー、エミー)って、なんか見ないといけない、みたいな強迫観念がある。
やっぱり、職業柄、流行っているものは知っていないといけないような気もするし、あとでネットや新聞でみても、いまひとつ何があったのかわからないので、なかば義務感で見ている。
特に今年は、マイケル・ジャクソンのトリビュートもあるしな、という言い訳もあって、たまたま自宅にいたので全部ばっちりみたのである。

結果、めっちゃ脱力した。
女性陣の衣装をとっても、誰が一番注目されるかコンテスト、または誰が一番裸に近いかコンテストみたいなことになっていて美しいと思えないし、だいたい評価されている音楽の意味がほとんどわからないし、あがった瞬間といえば、スティービー・ニックスやスラッシュがでてきた瞬間だけで、自分の年を再認識しちゃったりして、ようは自分がどんどんメインストリームをわからなくなっていることを確認するだけの作業になってしまったのでありました。

そして、今日、アカデミー賞の候補が発表になりましたね。
私は映画をまめに見ているほうだとは決していえないと思うのだが、たまたま本命の「Avatar」は昨日の夜かなり遅れてみにいったし、大穴の「Hurt Locker」は先週DVDでみたところであった。

ちなみに「Avatar」の予告をみたときには、「あほか」と思い、レビューを読んで「宗教くさい」と思い、見なくていいだろ、と一度は思ったが、あまりに周りの人々が「絶対行ったほうがいい」というので、ついに劇場まで行ったわけです。
ほら、見ないであれこれいうの、よくないと思って。

いや、確かによくできてますよね。
3Dも、グラフィックも確かにすごい。
夢中でみたし、2時間半あっというまではあった。
が、既視感はあるし(ラピュタ?)、ストーリー展開もなんか無理がある気がして。
最後の感動させるためのシーンではつい吹き出しそうになってしまい、なんとかぐっとこらえたが、遠くで笑い声が聞こえてほっとするありさまである。

でも何が苦手かといって、あのこれでもかこれでもかと言わんばかりのメッセージ性が苦手。
ジェームス・キャメロンはもちろん彼なりの信念をもってあの映画を作ったのだろうし、なんなら言っていることは正しいのだろうとも思う。
ただメッセージ性が強い映画に、軽くうんざりしはじめたのかもしれない。

ちょっと話は離れるけど、今日地下鉄のホームでハンドバッグの中身をぶちまけてしまった。
すかさず所持品を拾うのを助けてくれたヒスパニックのおじさん。
そして、私たちが電車に乗り込めるように、ドアをおさえてくれている白人のおじさん。
電車に乗り遅れることもなく、ニューヨークって、こういうのがいいのよねー、なんておもいつつ、二人にお礼を言ったら、ヒスパニックのおじさんが「グッド・チームワークだったよね」と言う。
今度は白人のおじさんが「We are The United Nations」という。
はは(苦笑)、とにかくありがと、といって会話を終えようとしたら、
「We are The United Nations」と、またしつこくいうのである。
ついビッチーに
「I heard you the fist time」なんてむっつりいっちゃったけど。
これ、ジェームス・キャメロンに軽く感じてしまう違和感にちょっと似ている。

そして「Hurt Locker」。
こっちも、ちょっとどうなの、その陳腐なセリフは、と突っ込みを入れたくなる場面はちらほらあったものの、全体的にはすごく良かった。
良かったのは、たぶん淡々としているからだと思う。
戦場にいる登場人物を追っているけれど、それについてどう思うかはオーディエンスが決めればいい、みたいな距離感が新鮮だった。
そしてあとになってから、低予算だったこととか、女性が監督(しかもキャメロンの元嫁)だということを知って、ますます感心したわけである。

オスカーの候補リストをみていて、この2作品が、ノミネーションの数でトップを争っていることがなんだか象徴的な気がしました。
(ちなみにグラミーを見ていると、音楽業界の主流でこういう対決が見られること自体がもうなくなってしまったような気がしてむなしい)
そして、アンダードッグである「Hurt Locker」にがんばってほしい。
どれだけ結果は見えていても。












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