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マイケル・ジャクソンの訃報

木曜日の夜、知人のビデオのインスターレーションを見に出かけた先で、マイケル・ジャクソンの訃報を聞いた。
みんなパーティそっちのけで、マイケルの話をしている。
マイケルが死んだ、という内容の電話やテキストメッセージが飛び交っている。

次に出かけたギャラリーのオープニングでも同じこと。
(ちなみに、そのグループ展のタイトルは、「We are all going to die」だった。ショーのタイトルとしてはかなり微妙だと思ったのだが、皮肉なことに絶妙なタイミングになってしまったわけである)。

そのあとの夕食の席でも、飲みの席でも、同様。
ニューヨークで、「MJ」というイニシャルが、マーク・ジェイコブスではなく、マイケル・ジャクソンを指している状態が新鮮だった。
「黒人だった頃はかっこよかったよね」とか、中学生のときポスターを張っていたとか、どの曲が一番好きか("ビリージーン”という意見が一番多かった)、ペプシのコマーシャルは最高だった、なんて話で盛り上がった。

出かけた先で、趣味趣向に関わらず、誰もが誰かが亡くなったという話に夢中になっている、という状況がなんとなくデジャブっぽくて、前にこういうことがあったのはいつだっけ、と考えてみたのだが、たぶん、アメリカにきて1年目にダイアナ妃が亡くなったときだったろうと思い返してみた。

私世代の音楽好きななら、マイケル・ジャクソンは一度は通った道だと思う。
私より若い世代の人たちは、単なるフリークだと思っているかもしれない。
でも、ほんとにかっこよかった時代があったのである。
奇人ぶりが度を超してしまって、あれだけすごかったダンスや歌から注意がそれてしまったのがなんだか残念。
ここ10年くらいは、マイケル好きだったよね、って言いにくい雰囲気あったもん。
思い返してみれば、私だって、自分のお小遣いで最初に買ったレコードはマイケルだったような気がする。

しばらくはこの騒ぎが続くのだろう。
もしかして、今までナゾだった部分が明らかになるかもしれない。

最後に、友達が教えてくれたティーン時代のマイケルのビデオ。



"I don't care if I am pretty at all"
"We don't have to change at all"
なんてマイケルが歌ってる。
子ども時代に大スターになったのに、どこで黒人であることはクールじゃない、白人になりたいと思ってしまったのだろう。
全米の子どもたちには、「変わらなくていいよ」と歌っていたのに、マイケルに「君はそのままでいいよ」って言ってあげた大人がいなかったのかもしれない。
そう思うと、jacko から転じて、wackoと呼ばれた天才の悲しみがちょっとわかるような気がするから不思議である。
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| 有名人/セレブ | 03:44 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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リアリティ番組の功罪

私はそもそもリアリティ番組というものが、あまり好きではない。
だって、あまりに安易な感じがするから。
しませんか? イージーすぎる感じ。

リアリティ番組というものが、アメリカのTVシーンを支配するようになって久しいけれど、セレブの人生をおもしろおかしく追っかけるのも、モデルやデザイナーが毎週1人ずつ脱落していくのも、一般人が暴れたりする様子をみるのも、ここまで毎日続くと、飽きるし。

と、思っていたのだが、今週は、リアリティ番組絡みの騒動が2つ起きていて、急に看過できない感じになっていた。
ひとつは、人気番組 John and Kate: Plus 8のハッピー夫婦が離婚することになったこと。
双子と6つ子の8人の子どもを抱える夫婦を追いかけるこの番組は、子どもや家族ものが大好きな視聴者の間で大人気で、リアリティ番組史上最高の視聴率をたたき出していた。
この夫婦は、この番組の出演料で食べているらしく、しかも契約があるために、離婚後も、番組は続けていくらしい。
「他人の不幸は密の味」と「これからどうなっちゃうの?」という好奇心が、人々の心をくすぐっているもよう。
ま、これはまだほぼ想定範囲内という気がする。

そして、もう一つのニュースは、"Real Housewives of New Jersey"という番組の登場人物の一人に、ものすごくダークな過去があるらしい、ということがわかったこと。
どのくらいダークかというと、エスコート・サービスで働いていた、コカインの売買に携わっていた、しかも、コカインの損失を取り戻すために、誘拐にまで関与していた、というすごい話のオンパレードである。
詳しくは、the smoking gunに出ています(いつもながらに恐ろしい取材力である)。
そんな過去がありながら、リアリティ番組に出ようと考えたところがすごい。
もちろん名前は変えているのであるが、ばれないって思わないだろうと思うんだけど。普通。

最終的には、知ったこっちゃねえよ、って思うべきところなんだろうけれど、「事実は小説よりも」ということで、ここまで奇妙だとついつい引きずられてしまう。
リアリティ番組の境界線を、はからずもぐんと拡大してしまった奥様の一人。

しかし、やっぱりリアリティ番組は、テレビ業界のクオリティを確実に落としていると思う。
誰かを追っかけて、それを編集して見せる、という手法でここまで稼げると、ネットワークとしても、せこせこ質の高いドキュメンタリーやドラマを作るやる気が失せるってもんだろう。
安易な金儲けに走るとメディアはつまらなくなる。
そして、その過程で失われたものに気がつくのは、ずっとあとだったりする。
似た現象が、いろんな場所のテレビや映画や雑誌で起きている、ということを忘れてはいけないような気がします。

最後に宣伝。
ブログが文章中心になってきたので、出先で見つけたものや、おもしろいと思うものだけをピックした別サイトを立ち上げてみました。
こっちのほうもよろしく。


| メディア | 06:29 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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麻薬合法化の議論

ここへきて麻薬合法化とマリファナ課税の討論が急に熱くなってきた。

理由は2つある。
景気が悪くて、税収が減っていること。
それから、ニクソン大統領が始めた「war on drugs」が40周年を迎えて、その効果と費用と意味が見直され始めたこと。

NYタイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフ氏が、13日に、「Drugs Won the War」というタイトルのコラムを書いている。
当局とドラッグの争いは、ドラッグの勝ち、ということである。
だったらやめてもいいんじゃん、みたいなこと。

昨日のタイムズに、読者からの反応が出ていた。


世論の反応を見ると、当局のOBも含めて、「ドラッグ合法化」賛成派が多いのにびっくりする。
その理屈は:
1、合法化すれば、バイオレンスが減る
2、税収が増える
3、どれだけ当局がやっきになったところで、ドラッグはなくならない。
などなど。

もちろん反対派も多いし、当局からの反発ももちろんあるだろうから、すんなりとはいかないだろうけれど、何かが起こり始めた気がしてならない。

ドラッグ、とひと言に言っても、マリファナとそれ以外のドラッグはもちろん分けて考えるべき、というコンセンサスもある。
ヘロインとか、クリスタルメスといった、人を廃人にするドラッグを合法化するわけにはもちろんいかないと思う。

が、マリファナが課税されるとなると、値段が上がる、値段が下がる、という意見が両方あって、ストーナーのみなさんのなかにも、反対派もいるようです。

いずれにしても、マリファナ・ユーザーが逮捕されると社会から葬り去られてしまうわが祖国とは大違いである。
国を代表する新聞に、マリファナのイラストが出ちゃうくらいだし。

というわけで、最後におまけ。

ステージ上で堂々とクサを吸うレッドマン。
種明かしをすると、場所はアムステルダムである。
笑えます。

| 時事 | 05:33 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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イラン報道と女性ジャーナリストの声

はっと気がついたら、イランが大変なことになっている。
テレビは、もちろんブレーキングニュース扱いだし、新聞でも大騒ぎ。
しばらく静かだと思っていた国際ニュースが、中東和平問題、北朝鮮問題、イランと、同時多発的に大変なことになっているので、オバマ/クリントン チームの力量が試されている感じがする。

とはいっても、遠くで起きていることなので、新聞などを読んでいるだけではわからないことが多い。
たまたま今日、中東で活動しているイギリス人女性ジャーナリストの友人アン(偽名)が、チャットで話かけてきた。

彼女が、イランの今回の選挙の投票行動を分析している記事を送ってくれた。
偽名を使っている理由は、想像できるとおり、やっぱり女性ジャーナリストが主観的な記事を書くときには、いろんなリスクがつきまとうから。

彼女もフリーランスなのだが、寄稿しているメディアのサイトに、ムサビを支持する学生たちがハッキングして、西側に情報を流しているために、写真や記事をアップロードする作業に時間がかかってしかたがない、というこぼれ話をしてくれた。
「歓迎すべきことなんだと思うけれど」といいながら。
ムサビ派の学生たちは、とても頭がよくて、西側のサポーターとうまく連携しながら、サイバーウォーを仕掛けているのだという。
彼らがTwitterを使っているという話は報道されているけれど、アメリカの国務省がそれを理由にTwitterにメインテナンスを遅らせるように要請したというから、すごいことでる(国務省の要請が良いか悪いかは別として)。
facebookにも彼らが使っているネットワークがあるようです。

サイバーウォーは、一種のゲリラ戦なわけで、攻撃される側の対応は後手後手にまわることが多い。イランのような強気の政府に立ち向かおうと思ったら、よっぽどクリエイティブな方法を使わないと勝てないだろうし、逆にいえば、クリエイティブな手段を使えば、勝てたりするのだろうか?と考えてしまう。
新聞などを読んでいても、「イラン革命以来、最大規模の抗議活動」なんて書いてあるし、メディアのトーンにも「こりゃあ革命か?」と一瞬思わせてしまう何かがあるような気がするのだが、しかし腑に落ちないところがある。
という疑問をアンにぶつけてみたところ、
「そりゃあ、ムサビ氏は「改革派」と呼ばれているけれど、イラン革命とも無関係ではないし、まあ体制側の人間なわけだから、西側が期待しているような革命は起こらないと思うよ。それなのに西側メディアは、革命か?っていうトーンで報道している。幻想だよね」
というような説明をしてくれた。
ものすごく納得。

アンはもう10年くらい中東で活動している(そして時々ニューヨークに遊びにくる)。
イギリス人だし、金髪だし、やりにくいことも多いらしいけれど、それでもやっぱりニュースが多い中東での仕事はやりがいがあるらしい。
この間ニューヨークで会ったときに、「もう10年もいるし、他のところに行こうかと思うときもあるけれど、私はエリートではないので、他のエリアで同じように仕事があるかと思うと踏み切れない」という話をしていた。
中東に10年暮らし、地道にリポートを続けても、彼女はやっぱりエリート・ジャーナリストではない。
西側の大手の報道機関は、生え抜きのリポーターを使うことが多いから。
今日、彼女と話をしてみて、一番アクセスしやすい報道機関のリポートには、こういう土地に根付いた人のリアルな声が欠けているなと改めて感じた。
単身で中東に暮らし、体を張ってリポートを続けるアンに、がんばれよー、と心から思ったのでありました。

| メディア | 08:02 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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中東和平問題とユダヤ人の抗議団体

ワシントンのホロコースト・ミュージアムで88歳の白人至上主義者が発砲事件を起こした翌日、犬の散歩をしていたら、国連前に抗議をしているユダヤ人の団体を見かけた。
黒い服に、帽子をかぶった見るからにオーソドックス(原理主義)のみなさん。
何に抗議をしているのだろうと思ったら、彼らが持っている看板には意外なことが書いてあった。



どうやらイスラエルという国家に反対らしい。
自分の嫁以外には触ってはいけないらしいのだが、興味があったので、「フライヤー、あります?」と話かけてみた。
目は見てもらえなかったけど、フライヤーはもらえました。

フライヤーによると、彼らが解釈する「トラー」の教えでは、ユダヤ人は国家を持ってはいけなくて、他人の人権を侵害してはいけないことになっているのだという。
ユダヤ教の解釈にもいろいろあるのですね。
そうはいっても、国連前のプロテストの規模は、多く見積もって30人くらいだったから、おそらく少数派なのだろうと思うけれど。
ちなみに、この人たちの団体のウェブサイトはここ

オバマ政権のアジェンダの一つである中東和平問題の行方が気になる今日この頃。
人が2人以上集まれば、どれだけ小さな問題でも合意することが難しいときがあるのに、これだけセンシティブで、長くもめてきた問題を解決することなんかできるのだろうか、と心配である。
しかし、こういう団体の活動の話をほとんど耳にすることはない。
まだまだ知らないことが、たくさんあるのです。

| 時事 | 06:33 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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番外編:ミクシー/フェイスブックの副産物

数日前、ミクシーから送られてきたメールを見てはっとなった。
「もうすぐ~さんのお誕生日です」と書いてある。
もうすぐお誕生日を迎えるのは、2年ほど前に亡くなったお友達のコーキさん。
当たり前かもしれないが、彼が亡くなってからも、彼のミクシーページはまだ生きている。

コーキさんは、学生時代によく通っていた居酒屋のマスターだった。
ものすごくかわいがってもらったのに、海外に出てからは、しばらく足が遠のいていた。
何年も経ってから、ミクシーで再びつながってから、帰国の際に、2度会った。
実家が何度も引っ越しをしたために、「故郷」がない私にとっては、帰るとそこにいてくれるコーキさんは、貴重な人だった。

と、話はちょっとそれたけれど、最近のミクシーは微妙である。
「平和なデジタルコミュニティ」だったはずが、最近は、コミュで叩き合いが起きているのをよく目撃するし、トーンが変わってきたと思うのは私だけではないと思う。
フェイスブックを導入して、いろんな情報が入ってくるようになったし、連絡も便利になったけれど、フェイスブックを使うことが前提条件の世の中になりつつあるのが恐ろしい。
けれど、自分が明日死んだら、ミクシーとか、フェイスブックとか、そのままになっていくのだろうと思ったらちょっと不思議な気持ちになった。
一般人が事件に巻き込まれたときに、マスコミが「人となり」を報道するのに、フェイスブックを使う場面は多々みたが、残された側からすると、いなくなってしまった人の日記に戻れる、という素敵な副産物があったとは。
あんまりバカなことは書かないようにしよっと。

というわけで、久しぶりにコーキさんのページにおじゃました。
「一日千回見てください! 」というコメントとともに、Youtubeのリンクが張ってある。
亡くなったあとに初めて気がついて、泣いてしまったビデオ
興味がある方はどうぞ。




| 番外編 | 01:14 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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オバマの中東スピーチとイスラエルの「街の声」ビデオ

先週、オバマ大統領がイスラム世界に向けて行ったスピーチは、アメリカでは大事件として報道されていて、”アメリカの中東政策がシフトした歴史的瞬間”というように受け止められていたと思う。
スピーチの内容を実行に移せるかどうかは別として、そうか、もしかしたら、任期の最中に和平、なんていう可能性も出てくるのだろうか、なーんて考えていたところに、ショッキングなビデオを見た。



ちなみにこのビデオは、huffington postのコントリビューターが撮ったものなのだというが、ボツになったらしい。
ニュースバリューがないということで。

今さら言うまでもなく、アメリカの世論はえてしてイスラエル寄りで、その大きな理由のひとつは、「イスラエルとアメリカは両方とも民主主義で、カルチャーも似ている」という政治家たちがこれまで何度もつかってきたレトリックだという気がする(卵が先か、鶏が先か、という話かもしれないけれど)。
が、パレスチナに過激な思想を持った人たちがいるのと同様に、イスラエルにも過激な思想を持った人たちがいる、というごく当たり前の事実にスポットがあたることはごくごく少ないような気がする。
同じような服装をし、同じように英語を話す人たちがイスラエルにはいる、ということが、親イスラエル派の論理になりがちなのだけれど、そういう人たちが、こんなふうに思っているのだとしたら、それはそれでまた恐ろしいと思ってしまうのは私だけだろうか。

と、考えると、ニュースバリュー、ありまくりだと思うのだけれど。
自分が報道機関に務めた短い経験から、「ニュースバリュー」というものは、人によってまったく捉え方が違うと思うので、意見が食い違うのはわかるけれど、個人的には、誰も取り扱わないことこそニュースバリューがあると思っている(だから私はマイナーなのかもしれませんが)。
今回のことについては、Huffington Postがボツにしたのを、gawker.comがネタにした。
インターネット上の情報民主主義がうまく機能した例かもしれませんね。

| 時事 | 10:14 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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ピカソとギャラリービジネス

ここのところ、ちょっとばたばたしていたのでぎりぎりになってしまったが、ガゴシアンでやっていた“Picasso: Mosqueteros”を見てきました。
ショーは、ピカソが人生の最後の25年間に作った作品の集大成です。

最終日の前日にあたる金曜日の夕方。
ここはミュージアムか?と錯覚してしまうくらいの混雑ぶり。
違いは、入場料がないということ、そして壁にかかっているピカソの作品がすべて売り物だということくらい。

ちなみに私はこれまでガゴシアン・ギャラリーのやっていることを、好ましく思っていなかったし、あまり興味もなかった。
なんといっても、アートバブルを作り上げたギャラリーのひとつだし、取材はほぼ全面的にNGだし、ラリー・ガゴシアンというオーナーについてもよくない話ばかりを聞いてきたから。
ちょっと前に、ニューヨークタイムズが、ラリー・ガゴシアンの周辺取材をもとに書いた記事を掲載していた。
本人が取材いっさいNGなので、完全にフェアとは言えないかもしれないけれど、アートバブルとガゴシアンの関係について考えさせる内容になっているので、興味のある方はどうぞ。

でも、ピカソのショーをみて、ちょっぴり考え方が変わったかもしれない。
そもそも、ピカソのショーをギャラリーという枠組みでやり遂げたというところがすごいし、意図がなんであれ、あれだけのショーをやることは、もちろんピカソの作品を買うことができないコレクター以外のオーディエンスに、ピカソと触れるチャンスを与えているわけで、ギャラリーとしてできることの領域を一気に拡大したような気がする。
「ガゴシアンは何をやろうとしているんだろう?」と末恐ろしい気持ちになったのも確かですが。

NYタイムズのレビューに興味深い1文があった。

This is not the first big exhibition of late Picasso.
But it may come at an unusually receptive time, when art is wide open, and the understanding of what it takes to be an artist has gotten a bit fuzzy around the edges.

アートバブルが崩壊したおかげで、アートが意味するもの、アーティストのやるべきこと、そういうことが曖昧になっている、という見方です。
ガゴシアンのピカソのショーは、きっと何年もかけて準備されたものだろうということは想像に難くないけれど、もしかしたら、景気が悪くなかったら実現しなかったショーかもしれない。
そしてそのショーが今のタイミングで開かれたことには、何か意味があるのだろうと考えてみた。
実際に、ピカソの作品を買えるコレクターが今の世の中に存在するかどうかは永遠の謎だけれど、無理矢理時間を作ってよかった、と思えるショーでした。

| アート | 06:07 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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ソトマイヨール判事とEMINEM

私事になるが、先週、人生2度目の断食にチャレンジしてみた。
年明けの断食で、すっかり生まれ変わったつもりだったのに、また暴飲暴食が続き、体が重く感じられるようになったので、夏の前にもう一度!とやってみたのでありました。
が、さすがに都会で普段の生活をしながらの断食は辛かった。
いろんな方向から食べ物の匂いがするし、やっぱり出かけた先で周りが飲んでいると、飲めない自分が苦しいし。
というわけで、予定日数に達する前に切り上げた今回の断食の成功度は50%くらいか。

断食の序盤は、カフェインが切れるため相当ぼんやりします。
大ニュースが次々と起きてもいまひとつ頭がまわらない。
最高裁判事にソニア・ソトマイヨール連邦高裁判事が指名されたことがわかったときも、ぼーっとしていたのだが、その段階を通り越し、断食を終えて普通の生活に戻った今も、ニュースの世界では、ソトマイヨール判事が議会の承認を受けられるか、という問題で盛り上がっている。

そして、ソトマイヨール判事が過去にした
「I would hope that a wise Latina woman with the richness of her experiences would more often than not reach a better conclusion than a white male who hasn't lived that life」
という発言が、人種差別的かという問題が特に大きな火種となっている。

聞いているだけで、もういいじゃん、とげんなりします。
有名なことだけれど、ブロンクスといえば、全米でも有数の治安の悪い場所である。
しかも、数十年さかのぼれば、ヒスパニック系が何か悪さをすると、「プエルトリカン」だと決めつけられた時代があったような場所である。
そんな時代にそんな環境でプエルトリコ系移民の子供として育ち、高裁の判事までのぼりつめた、しかも女性に対して、白人のエスタブリッシュメントのおじさんたちが、「人種差別者だ」と怒っている構図自体に苦笑い。
確かに、「苦労が多い=法的に良い結論を下せる」というのは短絡的だし、憲法という概念からいうと、望ましくない発言なのかもしれない。
でも、現実だもんなー。
自分が犯罪者で、選択肢を与えられたとしたら、私だって絶対プエルトリカン女性の判事のほうを選ぶと思う。

自分は「日本人で女性」というアイデンティティを持っているわけで、それを嫌だと思ったこともないが、アメリカ社会において、「日本人で女性」というアイデンティティよりもスタート地点が先にあるアイデンティティの組み合わせもあれば(白人男性とか)、スタート地点が後ろにあるアイデンティティの組み合わせもあるわけです。
もちろんそれは業界によって変わってくることもある。
たとえばバスケットボール業界やヒップホップの世界のように、黒人のほうが白人よりも生きやすい場所も確実にあるのだけれど、でもやっぱりメインストリームの大半では、たとえば法曹界のように、白人男性のほうがプエルトリカン女性よりも生きやすい場所が圧倒的に多い。
って、いうことには、気がつかないんだろう、議員のおじさんたちは。
これから議会の審議まで延々この話題が続くかと思うと、げんなりである。

ところで、すっごく話が飛が飛ぶのだが、今日、MTVムービー・アワードで、こんな事件があった。


EMINEMの最近の姿を見たくて録画していたのだが、こんな事件が起きて目を見張った。
しかし、このアワード番組は放送禁止用語が多いので、ライブより数秒ずれて放映している。というわけでEMINEMのついている悪態のほとんどは「ピー」という音で遮られてわからない。とっても残念。
新譜のなかで、リンゼイ・ローハンからサラ・ペイリンまで幅広くネタにしているけれど、自分がネタにされてしまったわけである。
そして本気で怒り、黒人のアントラージュに囲まれて帰っていくEMINEM。
普段眠っているミーハーな気持ちが起こされてしまったのでした。

| 時事 | 14:12 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

2009年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年07月

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