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米アート業界の「ゲーム・チェンジャー」

昨日、ツイッターにも書いたのだけれど、ダイチ・プロジェクツのギャラリスト、ジェフリー・ダイチ氏が、ロサンゼルス現代美術館のディレクターに就任する、というニュースがアート業界を駆け回った。
一人で家にいたのに、声をあげて騒いでしまった。

アート好きな人ならわかると思うけれど、同じアートを見せる場所とはいえ、ミュージアムとギャラリーでは、起源も運営の仕方も、存在意義も違うわけで、「NYのイケてるギャラリスト代表」みたいな存在だったダイチ氏が、公的資金で運営される美術館のディレクターになる、というのは、大ニュースなのです。

ちなみに、“ニューヨーク・マガジン”の評論家ジェリー・サルツ氏は、ダイチ氏のディレクター就任を「ゲーム・チェンジャー」と書いている。
ロサンゼルス・タイムスの記事は、「Why does the Museum of Contemporary Art’s board of trustees dislike art museums(なぜロサンゼルス現代美術館の役員たちは、美術館を嫌うのか?)」と疑問を投げかけている。
ま、反応を書き連ねるとキリがないのだが、アート系のブログを読んでいても、「それっておかしくない?」とか「利害の衝突じゃん」というような反応が多い気がする。

今日、たまたまギャラリストで音楽もやっている、という友達とご飯を食べた。
そのときに、ダイチの話題はさておき、音楽業界とアート界、ファッション業界で、商業主義が一番汚いのはどこか、という話題になった。
「まあ、どこもそんなに変わらないんじゃないか」というようなことを言っていたら、でもやっぱりアート界は、商業主義だけじゃないと思うんだよねー、と彼女が言った。
でも、ダイチが現代美術館のディレクターになっちゃう世の中なんだよ?
と私が言ったところ、彼女は、
「そうはいっても、お金にならないアートを発表できる場(たとえば売ることのできないインスタレーションとか)もあるし、お金と関係のないところでアートを振興しようと日々努力している公的機関はまだまだあると思うんだよね」。
と、しばらく議論してみたのだが、もちろん結論なんか出るはずもなく、この問題については、もう一度お互い考えて、また後日話し合おう、ということで今日はお開きになった。

というわけで、ダイチ氏が、ミュージアムとアート商売の間にあった境界を超えた今、何がどう変わって行くのかとても気になります。
アートやファッション、プロダクト、デザインといった違う分野の間にあった境界線がどんどん薄くなって久しいし(特にニューヨークみたいな場所に住んでいると、それをひしひし肌で感じる)、それによって良いこともあるし、悪いこともある。
でもやっぱり、変わらないべきものもあると思うのです。
ダイチ氏の就任は、もう決まってしまったことなので今さら誰が何を言ってもしょうがないが、ミュージアムはアートを購入できない一般市民のためにある、というコンセプトが変わらないといいなと思います。
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| アート | 12:07 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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フランソワ・ジローさんにインタビューしちゃいました

ご無沙汰しました。
久しぶりに、怒濤の日々だったのです。
忙しくなると、ブログや自分プロジェクトがおろそかになってしまうのは私の悪い癖。
もうちょっとバランスよくやりたいもんです。

さて。
東京からやってきたスタイリストの祐真朋樹さんとPopyeのエディターさんが無事に帰国され、普段の生活がまた始まりました。
おとといは久しぶりにテンションが上がるインタビューであった。
相手は、ピカソと結婚していたフランソワ・ジローさん、88歳。
めっちゃチャーミングな素敵な人でありました。
写真は、Hisham Bharoochaが撮ってくれました。

今も創作を続けているばりばり現役の彼女に、
「ご自分のどんな資質が、こんな人生を与えてくれたと思いますか?」
と聞いてみた。

そしたら
「私は一人っ子として育ったから、一人でいても平気なの。
一人でいても楽しめるし、一人でいるのが結構好きなのよ
だから愛情に飢えた感じ(needy)がしないんじゃないかしら?
だから人が寄ってくるのよね」
という答えが返ってきた。

一人でいるのが平気、というのは女性としてはものすごい強みである。
一人の時間が楽しめる、というのもそうだし、シングルでも大丈夫、というのもそうだと思う。
確かに私の周りのモテる女子は、一人を楽しめる、という条件をクリアしているような気がします。

ちなみに自分は、一人を楽しいと思うときもあるが、誰かと遊んだほうがいいのかなってそわそわしちゃうときもある。
が、一人の時間はけっこう貴重。
特に、宴会シーズンはね。

ちなみにこのインタビューは、Vogueに出る予定。
お楽しみに。

| アート | 06:50 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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あるアーティストの死

そういえば、旅に出ている間にニューヨークであった事件がもうひとつ。
先週の月曜日、ダッシュ・スノウ(Dash Snow)が、ヘロインのオーバードーズで亡くなった。
享年27歳。
27といえば、若い才能が死んでしまうマジック・ナンバーである。
カート・コベインも、ジミヘンも、27で死んだのではなかったか。

ニューヨークのストリートから登場してきたアーティストのなかでも、若い頃から注目され、ライアン・マクギンリーと並んでストリートからもギャラリーからも評価されるアーティストとして知られていた。
Tiny Vices に彼のポートフォリオが出ています。

個人的には、ダッシュ・スノウを取材したことはなかった。
取材したいと思ったことも、これまでなかった。
なんでだろう? と考えてみたのだけれど、ストリートアートが「アート」と見なされるようになって、急にチェルシーのギャラリーが若いアーティストをちやほやする、という現象の中心にいる人物のように感じていたからかもしれない。
そうはいっても、それって必ずしも本人の責任ではないし、だから悪いっていうわけでもないのだけれど、注目されたのが20代前半と若かったから、ダッシュ・スノウや彼をとりまく世代のアーティストたちが、大きな時代の流れのなかで、どんな意味を持つのか、ジャッジしづらい、と感じていたからかもしれない。
なんでだろう?
答えは今のところ見つかりません。

死んでしまうことで伝説になる、というケースはよくあって、ダッシュ・スノウもきっとそういう存在になっていくのだろうと思う。
地元メディアの報道を見ても、もうすでにバスキアと比べているところもあったりして。

vice magazineに、ライアン・マクギンリーが書いた文章が掲載されていた。

そのなかにこんな一節があった。
Heroin, oh heroin, oh heroin.
Taken the lives of so many great artists.
Taken so many of my friends’ lives.
I don’t know if you’re not supposed to write about drugs when one of your friends dies of an overdose, but those are all my memories of Dash. Drug and alcohol induced memories.
It’s always been a bottle of Jack, a bag of coke, and some beers.
And lots of bathrooms.
That was just our relationship.
That’s what our lives were.
Adventures on drugs. And it’s what eventually led him to his death.
ヘロイン、ヘロイン、オー、ヘロイン、という最初の文章がすべてをあらわしているような気がする。

若くして死んでしまったアーティストのことを、知ったかぶりして語るようなことはしたくないし、変にセンチメンタルになるのも、嫌らしい大人っぽいので、それはさておき、私がこのニュースを聞いて、一番に思ったのは、ヘロインって、まだあるんだっけ? っていうことである。

自分の周りとか、周りの周りとか、まあそこそこ遠くまでいったとしても、名前を耳にするドラッグは、クサ、コーク、クリスタル・メス、くらいなもんである。
しかし、週末の新聞に、独立記念日の週末に、ブロンクスのヘロイン工場が摘発された、という記事が出ていた。
気がつかないうちに、ヘロインは、再びニューヨークの街にじわじわ浸透しているようである。
ああ、恐ろしい。
歴史的に振り返ってみても、ヘロインは、景気が悪いときや人間の心理状態が不安なときにこそ強いドラッグなのです。
27歳で死んでしまったアーティストが伝説になっていくうちに、若くして死ぬことを美化してしまうようなことにならなければいいけれど。

| アート | 10:05 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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ピカソとギャラリービジネス

ここのところ、ちょっとばたばたしていたのでぎりぎりになってしまったが、ガゴシアンでやっていた“Picasso: Mosqueteros”を見てきました。
ショーは、ピカソが人生の最後の25年間に作った作品の集大成です。

最終日の前日にあたる金曜日の夕方。
ここはミュージアムか?と錯覚してしまうくらいの混雑ぶり。
違いは、入場料がないということ、そして壁にかかっているピカソの作品がすべて売り物だということくらい。

ちなみに私はこれまでガゴシアン・ギャラリーのやっていることを、好ましく思っていなかったし、あまり興味もなかった。
なんといっても、アートバブルを作り上げたギャラリーのひとつだし、取材はほぼ全面的にNGだし、ラリー・ガゴシアンというオーナーについてもよくない話ばかりを聞いてきたから。
ちょっと前に、ニューヨークタイムズが、ラリー・ガゴシアンの周辺取材をもとに書いた記事を掲載していた。
本人が取材いっさいNGなので、完全にフェアとは言えないかもしれないけれど、アートバブルとガゴシアンの関係について考えさせる内容になっているので、興味のある方はどうぞ。

でも、ピカソのショーをみて、ちょっぴり考え方が変わったかもしれない。
そもそも、ピカソのショーをギャラリーという枠組みでやり遂げたというところがすごいし、意図がなんであれ、あれだけのショーをやることは、もちろんピカソの作品を買うことができないコレクター以外のオーディエンスに、ピカソと触れるチャンスを与えているわけで、ギャラリーとしてできることの領域を一気に拡大したような気がする。
「ガゴシアンは何をやろうとしているんだろう?」と末恐ろしい気持ちになったのも確かですが。

NYタイムズのレビューに興味深い1文があった。

This is not the first big exhibition of late Picasso.
But it may come at an unusually receptive time, when art is wide open, and the understanding of what it takes to be an artist has gotten a bit fuzzy around the edges.

アートバブルが崩壊したおかげで、アートが意味するもの、アーティストのやるべきこと、そういうことが曖昧になっている、という見方です。
ガゴシアンのピカソのショーは、きっと何年もかけて準備されたものだろうということは想像に難くないけれど、もしかしたら、景気が悪くなかったら実現しなかったショーかもしれない。
そしてそのショーが今のタイミングで開かれたことには、何か意味があるのだろうと考えてみた。
実際に、ピカソの作品を買えるコレクターが今の世の中に存在するかどうかは永遠の謎だけれど、無理矢理時間を作ってよかった、と思えるショーでした。

| アート | 06:07 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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ギャラリーとアーティスト

先日、メトロポリタン美術館で、「Pictures Generation」というショーが始まった。
アメリカ消費文化の初期に育った世代にフォーカスを充てたグループ展。
シンディ・シャーマンやリチャード・プリンスを始めとする30人がフィーチャーされている。



これ、私にとってもちょっとしたビッグディールなんです。
なぜかというと、お友達のアーティスト、マイケル・ズワックが30人のなかに入ったから。
マイケルは、ものすごく不器用な人で、かつてはメトロピクチャーズとか、ポール・カスミンといったチェルシーのメジャーなギャラリーがついていたのだけれど、需要のスピードにあわせて創作活動をできなくて、いつしかギャラリーシーンから見捨てられてしまった。
アートは作り続けているものの、ここ何年も別の仕事でご飯を食べている。
だから、メットに今回とりあげられたことは、一友人として、とっても誇らしいことだったのです。
(写真は、フィーチャーされているマイケルの作品のひとつ)

今日、また別の有名ギャラリーがついている日本人のアーティストの方をアトリエに訪問するチャンスがあった。
彼も、80年代からニューヨークに住んでいる人なので、ギャラリービジネスの裏側について、とても書けないようなおもしろい話をたくさんしてくれた。

「ギャラリーなんて、みんな狸だよ」
という彼に、
「イヤになることはないんですか?」
と聞いてみた。すると、
「ギャラリーが稼いでくれないと、作家は死んで行く。イヤだイヤだといいながら、こっちもそれを楽しむくらいの余裕がないと、やっていけないよね」
という答えが返ってきた。

なるほどなあ。
これまでの経験から、ギャラリーなんてやっている人の大多数は、アートやアーティストのことを心からケアしているとは思えないとずっと感じてきた。
もちろんなかには真摯にやっている人もいるのだけれど。
狸の化かし合いも、「おもしろい」と思えないできた自分にも、見えてないモノがあるのかもしれません。

友達のマイケルは、ギャラリーの言うようにできない自分の問題は、なんなんだろうと、セラピストに見てもらったところ、「貧乏コンプレックス」と言われたそうな。
貧乏な出自だったから、アートでお金を稼ぐことに、罪悪感を感じ続け、それを克服できなかった、ということらしい。
一度、冬の時代を経験したわけだから、これからマイケルが罪悪感を克服できるようになりますように、という気持ちである。

ちなみに今、ニューミュージアムでも、若い世代にフォーカスしたショー「Younger Than Jesus」 をやっている。
2つの正反対のミュージアムが、別の世代にフォーカスを充てたショーを同時期にやっているわけなので、比べてみて見るとおもしろいと思う。
ニューヨークに住んでいる人はぜひ。


| アート | 04:50 | comments(-) | trackbacks:0 | TOP↑

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アートバブルの意味(2)

今週と来週は、写真家の森嶋一也さんと一緒に、モノを作っている人をインタビューしている。
映画とかアートとか音楽とか。
work in progressなので、詳しくはナイショですが、とても良い物ができるのではないのかと思っているし、というか、良い物を作らないといけないと思っています。
乞うご期待。

そんなわけで、自然と、モノを作る、ということを、今の時代、という文脈のなかで考えている。
と同時に、最近、制作会社が倒産した、家賃を払えなくなった、予算が半分になった、という話をファッションやクリエイティブの世界でもよく聞くようになった。

特にアートの世界も、戦々恐々としているらしい。
12月にマイアミ・アート・バーゼルを控えているが、某有名ギャラリストが、毎年やっていた派手なパーティを今年は自粛するらしい、とか、暗いウワサがあとを断たない。

今週のニューヨーク誌に、ロンドンの「Frieze Art」の話題が出ていた。
評論家のJerry Saltzが、アートのバブル崩壊が、何を意味するかについて書いている。
起こる可能性があることとしては、ニューヨークやヨーロッパで、それなりの数のギャラリーがつぶれ、アート雑誌が減り、マイアミのバーゼルは中止になるかもしれないし、ミュージアムも資金繰りに困る、などなど。

でも、ポジティブなこともありそうだ。
心の底ではアートなんてどうでもいい投機的な投資家たちは減るだろうし。

アート界に流れ込んだ大金の影響について、Jerry Saltzはこう書いている。
It hasn't made art better.
It made some artists- notably Hirst, Murakami, Prince and maybe Piotr Uklanski- shallower.

よくぞ言ってくれました、という気持ちになった。
お金のせいで浅薄になった、と名指しで書かれた人たちは、現代アート界の大物ばかりである。
こういうことを勇気をもって言える人は貴重です。

たとえば清貧のようなコンセプトがいいとは思わないし、アーティストがきちんと評価されて、お金に換算されることは素晴らしいと思う。
でもアートバブルのおかげで、なんじゃこりゃ?というようなモノも大量に登場したし、アートが社会において果たす役割についてのコンセプトが曖昧になった。
そして発言力があるのに、そのへんのことを看過してきた大物たちにはやっぱり責任があると思う。

今日であったアーティストも言ってた。
60年代や70年代にアートを勉強していたら、アートのmaterialization (物質主義化)は危険なことだと教えられてたけど、今は誰もそんなこと気にしちゃいない。
どうなっちゃってるんだ、って。

大学院時代に、バブルの心理、みたいなことでペーパーを書いたのを思い出した。
アートだろうと、不動産だろうと、株だろうと、バブルは必ず弾けると決まっているのに、なぜ人は過去の例から学べないのだろうか。
自分だけはババをひかない、と思ってるからだろうと思うけど。

インタビューをやっていて思うのは、儲かろうと儲かるまいと、自分の信じた道をぶれずに貫いている人は強い、ということ。
こんな時代のいい所は、自分がやりたいこと、自分がやるべきことを考える良いチャンスだということ。
仕事にかこつけて、毎日、勉強させてもらっているのでありました。

| アート | 14:19 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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アート・バブルとロウワー・イースト・サイド



今週は、某誌のNY特集の仕事で、ロウワー・イースト・サイドに急増するギャラリーを取材している。
去年の夏、エスクァイアのNY特集でアートページを担当したときは、チャイナタウンとロウワー・イースト・サイドのギャラリーはあわせてせいぜい5軒くらいしかなかったけど、今はたぶん軽く15軒くらいはあって、さらに秋には5軒くらいオープンするらしい。
チェルシーの雄、リーマン・マーピンも、昨年の夏、ロウワー・イースト・サイドに新しいブランチをオープンした。
恐るべし増え方です。
ロウワー・イースト・サイドのきったないストリートに、ギャラリーがある光景はなんかニューヨークらしくていいと思う。
やっぱりニューヨークはこうでなくっちゃ、なんて思っちゃった。

NYのお高い現代アートといえば、これまでメッカはチェルシーの西端(ファー・ウエスト・チェルシーともよばれる)だったのだが、数年前から、チェルシーの家賃の高騰を嫌うギャラリーや、新興ギャラリーが、東のほうに移動してきたのです。
いまだにチェルシーには、300軒以上もギャラリーがあるけれど、「チェルシーで出していれば売れる」という時代はもう終わったようで、よっぽど名前がないかぎり、最近はなかなか苦しいらしい、という話を聞いたことがある。
個人的にも、確かに、チェルシーのギャラリーは、5軒くらい見ると疲れちゃう。
お茶を飲むところも少ないし、敷居が高い感じがするのも、疲れちゃう理由のひとつかも。

で、今日、取材した先のギャラリーのオーナーが、小声で
「知ってる?ニューヨークのアートバブルはもう弾けたんだよ」
と教えてくれた。
いつ?と聞くと、去年の12月、大きな値崩れがあったらしい。
でもみんな小声でささやきあってるだけらしい。
だって、公にしゃべると、状況がさらに悪化しちゃうから。

彼によると、たとえば、大御所メアリー・ブーン・ギャラリーのメアリー・ブーンさんが、どこかの新聞に、売り上げが50%下がった、と言ったらしい(新聞記事、探してみたが見当たらず)。
When she says 50%, it really must be 80%
彼女が50%っていうときは、ほんとはきっと80%だよ、と笑うこのオーナー。

みんな、いつか弾けるって思ってなかったのかなあ?と聞いてみると、
Everybody saw it coming, but they all milked it and milked it until the cow didn't have milk anymore.
みんなくるって思っていたけど、それでも、牛のミルクがなくなるまで、ミルクをやり続けたのさ。
このへんの仕組みは、株も不動産もみんな一緒である。
みんな、自分はババをひかないと思って、やり続けちゃうわけです。

ちなみにチェルシーの家賃が払えないギャラリーがやってきたことで発展したロウワー・イースト・サイドの地価も、今ではほとんど変わらないらしい。
ニューミュージアムがオープンして、ギャラリーの数も増えた。
チャイナタウンの家主たちだって、やった、って思うだろう。
どんどん周期は短くなっているが、ニューヨークのアートシーンは、家賃が高くなる→安いエリアを見つけて移動する→急に発展する→家賃が高騰する、の繰り返し。
これ以上、どこに移動するのだろう、と思うけれど、きっと、また別のエリアに動くんでしょう。

ちなみにくだんのオーナー氏は、うちは安い家賃で長期リースを結んだから大丈夫、と余裕顔。
でもね、かわいそうなのはアーティストだよ、って教えてくれた。
チェルシーのバブルのおかげで、いいものも悪いものも値段が上がった。
でも一度、1000万以上の値段がついちゃうと、そのあとどれだけ景気が悪くなっても、安い値段をつけることが受け入れられない。そうやってダメになったアーティストたちを山ほど見て来た。
だから、値段は自分のプライドと生活が満足する程度で、安めに設定しろっていつも僕は言ってるの。

アートの世界も大変ねえ。
そういえば、もうすぐ日本で公開される「ビューティフル・ルーザーズ」のアーロン・ローズ監督にインタビューしたときに、彼が、映画に登場するアーティストたちについて、
「大切なのは、彼らが、売れようと売れまいと、淡々と創作を続けていく奴らだってこと」
と言っていたのを思い出した。
お金はだいたいにおいてコトをフクザツにするけれど、そんな気持ちでやらないと、きっと惑わされちゃうってことかもしれません。


| アート | 12:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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暗いアートの意味

去年、パリ在住の友人とギャラリーのショーに言ったら、彼がヒトコト。
「暗いですね~」

パリのアートシーンは、”かわいい”メルヘンチックなものが主流だという。
そう、暗いんです。
なぜなら、時代を反映しているから。

今日、ホイットニーが2年に一度開催する、ビエンナーレに行ってきました。



やっぱり、アーティストたちも、静かに、でも確実に怒っているのだと思う。
何かがおかしい、ってことに。
そんなことがよくわかるショーでした。

アートの存在意義について考えてみると、当たり前のことのような気がする。
昨年、某日本の大企業が、日本人アーティストたちをやとって、キャラクターをモチーフにアートを作らせ、ニューヨークのギャラリーを貸し切ってショーをやったことがあった。
このときは、あんまりにびっくりしたので、その頃、私と会った人は、私がぶちぶち言っているのをおぼえているかもしれません。
同じことを欧米のアーティストに頼んだら、ものすごい大金を要求されるか、完全なる自由を要求されるかどちらかなような気がします。
もちろんこういう手法もありな世の中に私たちは生きているのだとは思うけれど、やっぱり何か訴えるもの、思想がなければ、アートとは言えないんじゃないだろうか、そんな素朴な疑問が頭をよぎりました。

去年、雑誌に登場してくれたNYのアーティスト、Dan McCarthyが、こんなことを言っていました。

For all art to be really relavent and has to reflect the time that it’s in.
It can’t just say I’m proposing this ideal world and this ideal world is better than the reality.
アートが意味を持つためには、時代を反映しないといけない。
理想の世界を提案して、こっちの世界のほうが現実よりもいいよ、って言うわけにはいかないんだ。

もちろん、作り手が何かを作る過程には、いろんな思考プロセスがあるだろうし、何かあれば、それは立派にアートなんだろうと思うし、見る側が何も感じないからといって、何もない、とは限らないんだとは思いますが。

私はアーティストではないけれど、ひとつひとつ関わる仕事に、ちょびっとずつでも意味を持たせないとな~、と自戒をあらためた1日でありました。

というわけで、今日は決戦の日。
もしかすると、何時間後には、勝負を脱退する人が出るかもしれません。
(または、何も決定しないかもしれません、またもや。)

| アート | 08:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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